サトシ時代の“8万BTCクジラ”が売却──ビットコインの信念は崩壊したのか?

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2025年7月。仮想通貨業界に激震が走った。
あるウォレットから**80,000 BTC(時価約1.2兆円)**が取引所に送金され、その一部が売却された形跡が確認されたのだ。

このウォレットは**「サトシ時代」**──つまりビットコインがまだ黎明期だった2010〜2011年ごろから保有されていたものであり、「おそらく本人か、極めて近しい人物」との見方もある。

では、この出来事は単なる価格への影響に留まらず、
**「ビットコインという思想の終わり」**を意味しているのだろうか?


■「信念の崩壊」と受け取った人々

ネット上では次のような意見が飛び交った:

  • 「サトシの仲間ですらBTCを売るなら、もう理想の時代は終わった」

  • 「信念や非中央集権は幻想だったのか?」

  • 「最古のホルダーが売る=終わりの始まり?」

特に、初期から「サイファーパンク(cypherpunk)」的な自由主義・非国家主義の文脈でBTCを支持してきた層にとって、この売却は象徴的だった。

**「本当に理想を信じていたのなら売らないはずだ」**という、ある種の“ビットコイナー道”への裏切りと見る声もある。


■ それでも「買い増す」者たち

一方で、真逆の動きもある。
たとえば、Blockstream社CEO Adam Back 氏はこの動きに全く動じず、
むしろ「買い増し継続」を明言している。

彼にとって、ビットコインとは短期の価格変動ではなく、長期的に自由を取り戻すためのツール
サイファーパンクの理想は終わっていないという立場だ。

このように、たとえ過去のホルダーが手放しても、「未来を信じる者は残る」という、
**“思想の継承者”**としてのスタンスも確かに存在する。


■ ETF時代におけるビットコインの「変質」

現在、BlackRockやFidelityといった巨大資本がBTC現物ETFを通じて大量保有している。
さらにMicroStrategyやメタプラネットのように、企業会計にBTCを組み込む例も急増中だ。

このような中で、かつての「アンダーグラウンドな反国家通貨」としてのビットコインは、
いまや**“ウォール街の資産クラス”**へと変貌しつつある。

この事実に対し、多くの古参ホルダーは違和感を覚えている。
「これでは金と同じ」「国家に回収される未来しか見えない」といった声も後を絶たない。


■ それでも信じる理由とは?

しかし、ビットコインがかつての理想から多少なりとも逸脱しているように見えても、
なお**「信じるに足る価値」はある**と筆者は考える。

その理由は以下の通り:

  • 中央銀行に依存せず、自己管理できる資産であることに変わりはない

  • 供給上限が絶対に変わらず、インフレ耐性を持つ構造は健在

  • 機関や国家が参加しても、コードを変えることはできない

  • 最後には「自分で保有・送金できる」唯一の純粋資産である

つまり、“誰が保有しているか”よりも、“何を保有しているか”が重要なのだ。


■ 今こそ問われる「自分の信念」

ビットコインがサイファーパンクの理想を具現化していた頃、
それを支えていたのは少数の“信者”たちだった。

今や価格も知名度も上がり、ETFという制度の恩恵も受けるようになった。
その過程で“信仰”が“投資対象”に変わってしまったのかもしれない。

しかしその中でも、自らのウォレットでBTCを握り、自己管理し、理念を語る人たちがまだ存在する。
それこそが**「信念あるホルダー」**であり、価格ではなく哲学を継承しているのだ。


■ まとめ:あなたはなぜBTCを持つのか?

「クジラが売ったから、もう終わり」
「ETFが主役になったから、もう魅力はない」

そう考えるのは簡単です。
けれど、そのたびにビットコインはまた立ち上がり、進化してきました。

最後に問います。

あなたは、“なぜ”ビットコインを保有していますか?
価格のためですか?それとも、思想のためですか?

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